なぜモンテッソーリ教育はいじめを防止できるのか?

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先日、東京モンテッソーリスクール学長の伊藤 政倫先生にお話しを伺いに行ってきました。

そもそもは、私がモンテッソーリ教育に興味を持ち、
ネットでモンテッソーリ教育の学校を調べていたら、
6歳以下が対象の園は多いのに、小学校以上がとても少ないことに気付いたのです。
そこで、モンテッソーリ教育を行っている小学校を調べた結果検索にヒットしたものの一つが、
最初に書いた東京モンテッソーリスクールだったのです。

この学校のサイトの面白いところは、
学長の伊藤先生が昔、国会議員選挙に挑戦するも敗れ、無一文・無職になった後、
モンテッソーリ教育に出会い、お金と英語に苦労しながら、
モンテッソーリ教育の認定教師になるべくヨーロッパで勉強する生活が、
生き生きとブログに描かれていることです。

人生が波乱万丈で、すごく面白いストーリーになっています。
それは伊藤先生の復活力があってこそなんですけど。

そんな伊藤先生のサイトやブログ記事の中で、
私はいじめについて書かれてある箇所がいくつかあることを目ざとく見つけました。

モンテッソーリ教育は子どもの個性を伸ばします。
しかし、個性的な子は一般的にいじめを受けやすい。
それを心配する保護者は多いものです。

しかしそのサイトでは、
「「人と違う」ことで、いじめに発展することはありません。」
と書かれてありました。

私は、
いやいや、そんなの理想論でしょ?
と正直思いました。

また、ブログのある記事では、
ヨーロッパで、ある女の子がいじめられている場面があります。
モンテッソーリの先生はその子が泣いているところに来て、
いじめられた時は「あっちへ行け!」って言うの!
と教えていたそうです。

ヨーロッパではそれでいじめが改善するそうです。
日本でそんなこと言ったら、むしろ悪化すると思います。
ただ、日本と欧米ではいじめが違うとは聞きますから、
何かあるのかもしれません。

そこで、伊藤先生に直接会って色々聞いてみよう、と思いました。
そこで私からアポを取って、伊藤先生とお話しする約束をしました。

当日、私は港区にある東京モンテッソーリスクールへとやってきました。
平日でしたが生徒は既に帰宅した後で、
伊藤先生一人が温かく出迎えてくれました。

教室で話しましょうということで、教室に入ると、
モンテッソーリ式のお道具がたくさんあり、
もはや別世界に来たような気分になっている私に、
伊藤先生は子ども用の椅子を勧め、
伊藤先生も同じような小さい椅子に腰かけ、
これまた子ども用の小さなテーブルを挟んで大人二人が向き合う形になりました(笑)

しかし重要なのは話しの方です。
3時間に渡る対談の中で、かなり重要な気付きが得られたので、
それについてこれからお話しします。

そもそも今回の対談のきっかけは、
私が伊藤先生の書いたサイトを見て、
いじめにおける日本と海外の違いについて疑問を持ったからです。
なぜヨーロッパでは「あっちへ行け!」でいじめが解決するのか?

その違いを生むもとは、子ども達の気質の違いにあるようです。
伊藤先生がヨーロッパの子ども達に出会って驚いたことの一つは、
彼らはそこにおやつがあると我先にと、取り合いになるそうなのです。
「じゃまだ、どけっ!」みたいな。
そういう時、ある子が誰かを殴ったとすると、
周りの子は一斉に殴られた子の味方をし、殴った子を非難するするそうです。
だから、いさかいはあるけど、いじめまで発展しないのだと。

なぜヨーロッパの子どもたちは弱い子の味方をするのか?
それは実はヨーロッパの歴史と深く関係していたのです。

国の歴史というのは、その国の国民の人生と相似象になっている、
つまり似ている、
という見方があります。

ヨーロッパの歴史では戦争ばっかりしてます。
しかし、今でもたくさんの国々に分かれています。

そんなに戦争ばかりやっていたら、いずれヨーロッパを統一する国が出てきても良さそうなものです。
というか実際そうなりかけたことが何度もあり、
例えばナポレオンやヒトラーがそうです。

ではその時ヨーロッパはどう動いたか?
フランスやドイツが拡大するのを嫌がり、
普段は仲の悪い国々が同盟を組んで、大国の台頭を妨げたのです。

第二次世界大戦の時期には、イギリスはドイツの進撃を抑えるため、
ライバルだったフランスに対して大幅に譲歩し、同盟の構築を優先しました。

なぜそこまでヨーロッパの国々は一国の台頭に対して強く嫌悪するか?
それは自分の好きなように生きたいという意識が強いからです。

一国によって統一されれば、全ヨーロッパが一つの同じルールで支配されることになります。
しかし、それだと自分の個性が発揮しづらくなってしまいます。
それがどうしても嫌なのです。

そういう意識は国民一人一人にあり、それは国民の集合体である国にも現れているのです。

その意識は子どもの時点で既に持っているようです。
みんな自分の個性を大事にしようとします。
だから、強い権力者が出てくると息苦しくなるので、
みんなで協力して権力の増長を防ごうとします。
いじめが権力を得る手段になることをみんな直感的に分かっているのです。

だから、「あっちへ行け!」と言ったら、
いじめっ子が権力を大きくしようとしていると、周りに呼びかけることになり、
被害者の元にいじめ反対派がたくさん集まるわけです。

これが日本だとどうなるか?
そもそもみんな、強い個性や主張が無いし、個性を守りたいという意識も弱いです。
だから自分の保身が第一になり、いじめがあっても見殺しにします。
だからいじめから身を守るには、友達が必要になるのです。

ヨーロッパなら友達じゃなくても、いじめっ子の権力増大を防ぐために行動しますが、
日本では個人的なつながりが無いとだめなのです。

モンテッソーリ教育は子どもの個性を伸ばすと、さっきも書きました。
その中で自分の個性も、他人の個性も大切にする意識が育つのです。
そしてそれがいじめの防止につながる。

今回の対談では、ヨーロッパの歴史にまで話を広げることで、
いかにモンテッソーリ教育といじめの防止が関連しているのかを学ぶことが出来ました。

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