羅生門の授業といじめ

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私は高校生の時に現代文の授業で芥川龍之介の羅生門を読んだのですが、

その時に私が考えた事が他のクラスメイトと真逆だった箇所がありました。

それは主人公である下人が老婆から着物を剥ぎ取ろうとしたときの心理です。

 

時代設定は平安末期で、都は荒廃し人々は飢えに苦しんでいました。

主人公である下人も生活に追い詰められていました。

そこで偶然遭遇したのが老婆で、

老婆は打ち捨てられている死人の髪を抜いてカツラにしようとしていました。

下人は老婆の行為を非道徳的だと思いましたが、

老婆は生きるためにしかたがないと言います。

そこで下人が考えた選択肢は、

・何もせず餓死する
・老婆を強盗し生き残る

の2択でした。

 

というシーンでの下人の心理を授業中に考えさせられたのですが、

クラス全体としては、強盗したいという感情と

道徳を貫きたいという理性の葛藤だと判断したのですが、

私は逆で、

生き残るために合理的に行動(強盗)しようとする理性と、

これまでの道徳的な慣習を破る恐怖の葛藤だと思いました。

 

もちろん、みんなの意見にも正しさはあると思って、

たとえば老婆が魚を焼いているのだとしたら、

匂いで食欲を刺激されて、それを理性が抑えるという葛藤が強く生まれると思います。

でも、老婆の着物からはそれを強盗したいと思わせる刺激は

出ていないと思います。普通。

だから、強盗したいという感情は強くなかったのではないか。

 

もしかしたら飢餓状態の下人は着物を見て、

それを奪ってさらに焼き魚と交換する未来まで

鮮明に見えてしまった可能性はありますが。

 

もちろん小説なので、解釈は人それぞれだと思います。

私がここで重点を置いたのは、

生き残るための合理性です。

 

私は高校生の時に既に独学で進化論を学んでいたので、

生存という視点で物事を見るようになっていました。

生物は殺し、搾取、詐欺、洗脳、裏切りなど私達から見ると非道徳的な行動をとりますが、

そうしなければ生存できないので、メンタルブロックなくやってのけます。

こういった知識が羅生門を読んだ時に私なりの解釈につながったのですが、

これは羅生門だけではなくいじめについても言えます。

 

いじめを道徳で考えようとすると、詰まります。

いじめをやめて!

といじめっ子の道徳心に訴えようとしても、

ほとんどの場合聞き入れられません。

自分の道徳心と相手の道徳心は違うからです。

多くの人がいじめを悪だと決めつけてしまうのは

それしか判断の基準がないからです。

 

しかし、相手が間違っていることが前提になると、

相手を無理やり更生させようとか、復讐してやるといった、

自分の幸せとは離れた事にエネルギーを奪われてしまいます。

 

いじめを見るときは、善悪や道徳だけでなく、

権力、チーターの排除、戦力バランス、大衆扇動といった

複数の視点を持つことが重要で、

そうすると問題解決の糸口が見えてきます。

多くの視点から物事を考えられるようになれば、

より柔軟に自分の幸せに近づく行動がとれるようになります。

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