いじめられた過去をどう捉えるか?

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いじめというとネガティブなイメージがあります。
確かに、修復不可能な傷を負ってしまったり、
自ら命を絶ってしまう方もいます。

そこまででなくても、
多くのチャンスを失い、
失意の人生を送っているようなケースはたくさんあるでしょう。

 

しかし、その一方で、
いじめられた時期を耐え、
今は普通に幸せな生活を送っている、という人もいますし、

さらに、いじめられた経験を機に大きく成長し
より活躍して成功していった人もいます。

では、いじめられた後に沈んでしまう人と
いじめられた経験をむしろ利用して大きくなる人は
どこが違うのでしょうか?

 

その一つは、
受け入れる、ということです。

いじめで不幸になる人は、
「なんで自分だけいじめられなきゃいけないんだ!」
「悪いのはいじめる方じゃないか!」
「私をいじめたあいつだけは絶対に許さない!」
「こんな人生もう嫌だ・・・」

と、こんなふうに考えてしまいます。

これは自分の身に降りかかったことを受け入れられていない状態です。

あ、今こんな感じだという人も大丈夫ですよ。
私にもこんな時期ありましたから。

 

一方で、いじめられても乗り越えられる人は
いじめを受け入れることができます。

受け入れる、と言っても
「いつまでも自分をいじめてもらって大丈夫ですよー」
と言うわけではありません。

そうではなくて、
自分はいじめられた
という事実を冷静に受け止める、ということです。

これが出来ない場合、
自分の悲運を嘆くことにエネルギーを奪われてしまい、
どんどん人生の流れを変えるための力が出せなくなり、
さらに不幸になっていってしまいます。

逆に、いじめを受け入れることが出来た場合は
エネルギーが残っているため、
それを使って自分を成長させたり、
いじめられている状態を抜け出すための活動に充てることができます。

ではなぜいじめを受け入れることが出来ない人がいるのか?
それは、その人達はいじめの悪い面しか見えていないからです。

いやいや、
いじめの悪い面”しか”って言うか
実際いじめって悪い出来事じゃないか!
っていう意見もあるかと思います。

別に私もいじめの悪い側面を否定しているわけではありません。
私もいじめられていた時期はつらかったですし、
よく泣いてましたし。

でも今ではいじめられて良かったなと思っています。

なぜそう思えるかというと、
いじめられたことで私の才能がいくつも目覚めたからです。

人の才能が目覚める方法には2パターンあって、
一つは、自分の好きな事に没頭している内に能力が磨かれるパターン。
もう一つは、つらい経験を通して才能が目覚めるパターンです。

そう、つらい経験からも実は成長できるのです。
ただ、つらい経験を活かすには準備が必要です。
その方法の一つが、受け入れるということなのです。

 

私の場合、いじめを受け入れられない時期が結構長かったのですが、
長いいじめ期間の間にたくさんの才能が磨かれました。
一部の例を挙げれば、
物事を深く考えられるようになったり、
読書の習慣ができたり、
メンタルが鍛えられたり、
といった具合です。

それに才能だけじゃなくて、
親の愛情をたくさん受け取る経験をしたり、
世の中の厳しさを知ったりしたのも、
いじめられた経験があってこそです。

その後の人生を見ても、
あそこでいじめられていなければ
ここまで大きく成長できなかったと思います。

いじめられた経験だけ切り出してみたら本当にひどい目にあったと思いますが、
その影響は決して悪いだけのものではなく
より長いスパンで見たら、むしろ良い方向に向いていたのです。

 

人生、生きている中で
つらい経験が、後になってみたら良い経験だった
なんてことがよくあると、
つらい経験も自然と受け入れやすくなるものです。

以前いじめられた経験があるという人は
その時に何か自分の才能が磨かれていないか考えてみてください。
また、才能じゃなくても、なにか良い経験をするきっかけになったりしていないか
思い返してみてください。

そこで何か見つかれば
いじめられたあの経験はむしろプラスだったかも
と思えてきます。

そうなったら、
過去と現在が繋がって、
自分の人生がより力強いものに生まれ変わります。

 

また、今現在いじめられているという人は
これは自分の才能を磨くための修行をしていると捉えてみてください。

そうすれば今いじめられた分は、
後でより大きくなって自分に恵みをもたらしてくれます。

別に限界まで我慢する必要なんてないですし、
泣いちゃっても大丈夫です。

でも、未来を信じて今を受け入れる
という姿勢でいることは大事です。

これはいじめを解決する上でも重要な考え方なので
よく考えてみてください。

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3 thoughts on “いじめられた過去をどう捉えるか?”

  1. いじめられて良かった?
    経験がプラスだったからいじめてもいいよ!という風に受け取れました。
    貴方はその経験が過去のものだからその発言が出来るんです。
    実際いじめられている最中に才能を磨く修行をしているだなんて思えません。“未来”なんて考えられない。自分は生きる事すらやめようと思った。
    こんな風に書かれるのは不快です。

    1. 一部の人にとってはこの考えを受け入れるのは難しいことであることも理解しています。
      ただ、この記事の主旨はいじめられた体験に対するネガティブなイメージを、別の角度から見ることで変えて、
      これからの人生に活かせるようになるきっかけになってほしいというものです。
      今いじめられて悩んだ経験が、将来役に立つ時がきます。
      とはいえ、心身の健康が一番ですから無理はなさらず。
      いじめの悩みの多くは、いじめを解決することで解決されます。
      当サイトの他の記事が非常に役立つと思うので、ぜひそちらもお読みいただければと思います。
      またのコメントをお待ちしています。

  2. いじめは絶対にしたほうが悪いと思います。
    いじめる側の心の問題や家庭問題、何かしら人を虐めなくてはやっていけない弱さがあったのかもしれませんが、自分が辛いから人を傷つけて発散していいのでしょうか?
    大人になって再度考えますが、それは違いますよね。
    ただの八つ当たりです。

    虐められている子は自分が悪いのではないか?自分なんて価値がない?と悩み自信をどんどん失っていきますよね?
    自信を失うということは自分の中にある良い面も否定して、未来の可能性を潰す事に繋がるんじゃないかな。と思います。そこから学ぶ事はなんでしょうか?

    いじめをうけなければ今後に活かせたであろう失ったものや時間を、どのようにして取り戻せばいいのかわかりません。例えば人を信じる心とか。本来であれば感じられる楽しい青春の時間など。

    私はあの時、いじめをうけずに、何もなく生きてこれたなら人生は大きく変わっていたのではないか?と思う事があります。

    また自分の経験から、私は人を絶対虐めない!1人になる寂しさや不安を知っているので、孤立していたり輪に入れずにしている人がいたら声をかけるようにしよう。その人の不安が少しでも和らぐきっかけになればいい。同じ苦しい想いをして欲しくない。など、些細な事ですがそう決めて今までやってきましたし、虐められた分だけ人に寄り添える優しさを持てる。人を虐めるような人間と同じにはならない。そう思いながら自分の中で過去と向き合おうとしてきました。
    でも乗り越えられません。

    道徳心では上記のように思いますが、心が保てない時には虐めた奴の人生に悪い事が起きて欲しい。同じ位の苦しい想いをすればいい。そう思ってしまいます。
    そうじゃなきゃ、やったもん勝ち。やられ損ではないですか?
    それが許されるなら世の中犯罪などもしたもん勝ちになってしまいますよね。
    悪い事をしたなら制裁を受け、反省する改心するべきだと思ってしまうのです。その上で反省した相手を受け入れる。虐められていた事を受け入れる。
    それを経験として良い方に活かす。
    これは出来そうな気がします。

    ただ現実そうはいかないの。
    実際、虐めてた人達はなんの苦しみもうけず、虐めたことすら忘れて、普通に生活していますよね。
    本当に理不尽過ぎると思います。

    どのようにこの気持ちを受け入れたら良いのか日々悩んでいます。

    もうこの思考や過去の記憶から解放されて新しい自分になりたいです。
    私の考え方が間違っているのかもしれません。どうしたらいいのか分からないのです。
    アドバイスをいただけないでしょうか?

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